福岡高等裁判所 昭和54年(ネ)556号 判決 1980年9月08日
控訴人
国
右代表者法務大臣
奥野誠亮
右指定代理人
田中清
外四名
被控訴人
小西裕司
右訴訟代理人
藪下晴治
主文
原判決中控訴人敗訴部分を取消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。
当事者の主張及び証拠関係<省略>。
理由
一有明高専第二学年に在籍し同校柔道部に所属していた被控訴人が、昭和四六年一月一二日、同校武道場内柔道場における同柔道部の練習に参加していて、同校第一学年学生塩山秀樹と乱取りの練習中、道場畳上に転倒し、頭部外傷の傷害を負つたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、被控訴人は、右事故により左脳挫傷、左硬膜外血腫等の頭部外傷を負い、その結果、現に、言語障害があるほか、洗面、食事、排泄、歩行その他日常生活において常時介護を要する後遺障害のある身体となつており、右後遺障害は回復の見込みがなく、その程度は労災保険法施行規則別表第一の障害等級表第一級に該当するものと認められる。
二当時、有明高専柔道部の指導教官が同校機械工学科助手石崎勝典であり、同部コーチが同校事務官山下政行であつたこと、同校の設置者が控訴人であること、以上の事実は当事者間に争いがないところ、原審における証人山下政行、同石崎勝典の各証言によれば、同校における課外活動としての部活動は生徒の自発的活動を中心とするものであるが、部の設立には指導教官の存在を前提としていたものであり、部の指導教官、コーチは同校校長の委嘱によつて就任し、同校柔道部にあつては、教育的な面をおもに柔道初段の石崎において、技術的な面をおもに柔道三段の山下において各担当し、同校の生徒である同部員の指導監督にあたつていたことが認められるから、同校柔道部の活動は、同校の特別教育活動の一環として行われていたものということができる。
国家賠償法一条第一項にいう「公権力の行使」とは、国または公共団体の統治権に基づく優越的な意思の作用として行う権力作用に限られるものではなく、国公立学校における教職員の生徒に対する教育活動などの非権力作用もこれに含まれるものと解するのが相当であるから、進んで、同項の規定に基づく賠償責任成立の要件として、本件事故の発生及びその後の措置につき、同柔道部の指導監督にあたつていた石崎、山下に過失があつたか否かについてみることとする。
柔道は、格闘競技として、場合によつては危険を伴うスポーツであるから、同校柔道部のクラブ活動を企画実施するにあたつては、阿部指導教官である石崎、同部コーチである山下らに生徒の生命身体の安全保持のため相当な注意をする義務のあることはいうまでもない。そこで、右両名につき、右の安全保持義務を怠つた過失があつたかどうかについて、以下検討する。
1 <証拠>を総合すると、次の事実が認められ<る。>
(一) 有明高専柔道部の本件事故当日の練習は、午後四時半ころから同校武道場内柔道場(七二畳敷)において開始されたが、同校柔道部のいつもの練習順序は、正座(精神統一のため、約一分)―準備体操と受身(約一〇分)―寝技(約二〇ないし二五分)―打込み(技をかける体勢を作る練習のこと、約一〇分)―乱取り(実際に技をかけ合う自由練習のこと、約四〇ないし四五分)―筋肉運動(約一〇分)―整理体操(約五分)―正座(約一分)というものであり、当日の練習も右の順序に従つて行われた。
(二) 本件事故当日練習に来ていた部員は一七、八名であり、午後五時二〇分若しくは三〇分ころ、一〇名余が五、六組に別れて乱取りの練習を開始し、他の部員らは観戦していた。塩山は二、三名の者と乱取りをした後、被控訴人と対戦した。塩山と被控訴人とは、ともに右手で相手の左襟を、左手で相手の右袖をつかみ、右足を一歩踏出すという右自然体に組んで互いに技の応酬をした後、まず被控訴人がその右足で塩山の右足を刈るべく、大外刈りをしかけていつた。そこで、塩山は、被控訴人の右足が自己の右足にかかつたのと殆ど同時に、重心を左足に移して被控訴人の右足を払い、大外刈りをもつて切返したところ、この返し技が鮮やかに決まり、被控訴人の体は一メートルほど宙に浮いて頭から落ち、被控訴人は道場畳で頭部を打つた。塩山は、その直後、被控訴人の受身の仕方がおかしかつたため、戦意を失い、倒れた被控訴人に対し、「止めよう。」と声をかけたところ、二、三秒して起上つた被控訴人が「いい。」と答えたので、また取組んだが、ものの一分も経つたころ、塩山が再び「止めよう。」といつたところ、被控訴人も「うん。」と応じて乱取りを止めた。その後、塩山は、他の部員を相手に乱取りを始めたが、その最中にも被控訴人のことが気がかりであつたため、それとなく注意していると、被控訴人が、最初道場東端付近で休んだ後、間もなく遅れてやつて来た上級部員の打込みの相手をつとめるに至つたので、塩山も安堵して乱取りに集中した。こうして塩山は、三、四名の乱取りを終え、午後六時ころになつたとき、被控訴人が先ほど休んでいた場所付近に倒れており、その周囲に部員らが集つているのに気付いた。
(三) 当日柔道部員の指導にあたつていたコーチの山下は、ちようどそのころ柔道場西端付近で上級生部員を相手に乱取りをしていたが、部員の知らせで被控訴人のところへ駆けつけたところ、被控訴人が既に意識不明に陥つており、失禁し、いびきをかいて、体をけいれんさせていた。衛生管理者の資格をもつ山下は、被控訴人の容態を見て、脳内出血を疑い、頭部を冷やすべく、直ちに部員に命じて濡れたタオルを用意させて看護させると共に、救急車の出動を要請し、同日午後六時半ころ、被控訴人は救急車出動の要請を受けた消防署員によつて既に連絡ずみの大牟田市渡辺外科医院に収容された。
右(一)ないし(三)の認定事実によると、被控訴人は、塩山に対し大外刈りをしかけたところ、同人から逆に大外刈りをもつて切返され、この返し技に対する受身が適切でなかつたために道場畳で後頭部を強打し、前記傷害を負つたものであることが明らかである。
2 ところで、柔道練習における乱取りは、約束練習のようにあらかじめ練習相手との間で約束しておいた技のみをかけ合う練習とは異なり、対戦相手を変えつつ互いに思い思いの技をかけ合う実戦同様の練習なのであるから、乱取りができるためには受身の術を習得していることが不可欠なのであつて、もしいまだ受身の術を習得するに至つていない場合には、危険防止の見地から、その者は乱取りに参加してはならないし、指導者はその者を乱取りに参加させてはならないというべきである。
そこで、本件事故が、被控訴人が主張するように、同柔道部指導担当教師らが未だ受身の術を習得していない被控訴人を乱取りの練習に参加させたために生じたものであるか否かについて検討するに、<証拠>を総合すると、次の事実が認められ<る。>
(一) 被控訴人は、昭和四五年七月に有明高専柔道部に入部し、同月から練習を開始し、八月の合宿には参加しなかつたが、九月には合計一七日、一〇月には合計一一日、一一月には合計二日、一二月には合計五日、昭和四六年一月には合計四日それぞれ練習に参加し、この間九月二三日には大牟田地区無段者大会に、一〇月二五日には佐世保高専での同校との対抗試合にそれぞれ出場し、右対抗試合では大内刈りで敗れたものである。
(二) 有明高専柔道部における新入部員の指導方法は、一週間六日として、最初の二週間は専ら受身の練習を、三週目から打込みを、五週目から乱取りをそれぞれさせており、爾後受身の練習は毎日の練習過程における準備体操と並んでの一〇分をこれに充てているほか、打込み、乱取り等を通じて習得させることにしており、被控訴人に対しても同様な指導方法によつたものであるところ、概ね、受身は二、三週間で習得でき、一旦習得すれば、一、二か月練習を中断しても忘れるものではないが、その習得には個人差があつて練習量のみによつてはその度合を判断することはできず、大会に出場できるか否か、乱取り練習ができるかどうかは、個々の指導者が決定せざるをえないものであり、被控訴人を前記対外試合に出場させたのは、的確な判断能力を有する石崎指導教官、同山下コーチにおいて協議のうえ、受身可能と判断したことによるものである。
(三) 昭和四五年一〇月一〇日の体育の日の前日に天草の実家に帰つた被控訴人は、腰痛を訴え、近くの病院等で通院治療を受けたが、前記のとおり、同月には合計一一日柔道部の練習に参加したほか、同月二五日の対外試合にも出場しており、学校の正課の体育には、同年九月一九日に休んだほか、本件事故発生時まで出席してその授業を受けたものである。尤も、前記のとおり、同年一一月、一二月における被控訴人の柔道部での練習日数は、急に少くなつているが、それは、そのころ、被控訴人は、試験の結果が悪かつたので柔道を続けるかどうか迷つていたためである。しかし、年が明けてからは、一月八日の始業式の日から始つた柔道部の練習に日曜日を除く毎日参加し、その四日目の同月一二日に本件事故に遭遇したものである。
(四) 大外刈りは、背負投げや足払い等とともに最初に練習する基本的な技であり、打込みや約束練習の際に教えられるものであるが、受身との関係では大内刈りと同じように後方受身の典型的な技であり、特に危険な技ではなく、勿論、禁止技ともされていない。また、大外刈りの返し技は大外刈りであり、その受身は元のかけ技と同じく後方受身であり、大外刈りの返し技自体が特に危険という訳ではなく、禁止技ともされていない。一般に返し技は相手の技のかけ方が悪いと自然に起る動作であり、大外刈りの返し技としての大外刈りについても同様である。大外刈りと大内刈りとでは、その危険の度合はその時の状況によつて異なるので比較はできず、頭を打つ危険性の点についても、同様のことがいえる。
(五) 塩山は、中学一年のとき柔道を始め、本件事故当時初段に昇格直前の腕前であつたが、被控訴人とは本件事故以前にも何度か乱取りをし、その際大外刈りをかけ合つたりしたことがあつたものであり、被控訴人は、その際、その受身ができていたものであるが、本件事故の際には、塩山が返し技としてかけた大外刈りは、特に強かつたわけではないのに、返し技をかけたタイミングがよすぎてその技が見事にきまり、そのため被控訴人が通常考えられないような勢いで倒れて受身が充分にできず、後頭部を畳で打つたものであり、その際、塩山は、被控訴人の上から同時に落ちていつたわけではなく、被控訴人が倒れた直後には被控訴人とは離れた状態にあつた。
右認定の(一)ないし(五)の事実によれば、被控訴人は、本件事故の際、自分がしかけた大外刈りに対し、塩山から大外刈りをもつて切返され、結果的に、その受身が充分でなかつたために後頭部を打つたものであり、極めて不運な出来事であるが、それは、当時、被控訴人自身大外刈りを含む柔道の基本的技に対する受身の術を習得していたものの、塩山が用いた返し技が受身の術を習得したものですら受身を誤るほどの見事さできまつたために生じた偶発的なものというべきであるから、山下らが被控訴人に乱取りの練習をさせた点に責められる謂れはなく、同人らに何ら過失はなかつたものというほかはない。
3 次に、被控訴人は、右石崎、山下らには、本件事故当日練習中止等危険防止のための何の措置を講じないまま、柔道部員らの練習を放置し、もしくは、漫然学校から退出していた点に過失がある旨主張する。
成程、<証拠>によれば、柔道部の指導教官であつた石崎は、本件事故当日研修のため九州大学に出張して柔道場を留守にしていたことが認められ、また、前記のとおり、コーチの山下は、当日柔道場に来て部員の指導監督にあたつていたものの、本件事故発生の際は上級生部員と乱取りをしていて、当初これに気がつかなかつたものである。
しかし、高等専門学生は、満一五才以上であつて、自らの行動を弁識しこれを自主的に決定する能力を有しているといつて差支えないから、柔道部の指導教官(コーチを含む。)は、部員の練習につき生徒の自主性を尊重しつつ指導監督すれば足り、常時複数の指導教官がついて各部員の行動を逐一監視すべき義務があるとは到底解し難いのみならず、前記認定事実からすれば、本件事故は複数の指導教官が現場に居たとしても避けられない一瞬の事件というほかはない以上、石崎、山下には被控訴人主張の過失はなかつたものといわざるをえない。
4 更に、被控訴人は、山下には被控訴人主張の救護措置を怠つた等の過失があり、そのため被控訴人の受けた損害が重大なものとなつた旨主張する。
しかし、前記認定事実によれば、山下は、被控訴人が柔道場東端付近で倒れているのを知らされるや、その容態を見て、脳内出血を疑い、直ちに頭部を冷やす等の応急措置をさせると共に、被控訴人を病院に収容するために救急車の出動を要請していることが明らかであり、従つて、山下は本件事故後適切な救護措置を講じたものというべきであるから、被控訴人の右主張は失当である。なお、被控訴人が収容された渡辺外科医院が頭部外傷の専門医でなかつたとしても、右病院への収容は、救急車の出動要請をうけた消防署員によつてされたものであるから、この点について山下が非難される謂れはないものというべきである。
三以上検討したところからすると、石崎、山下には前記安全義務を怠つた過失があるとは到底いえないから、右過失があることを前提とする被控訴人の控訴人に対する本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないものというほかはない。よつて、被控訴人の本訴請求を一部認容した原判決は不当であるからこれを取消して、被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(斎藤次郎 原政俊 寒竹剛)